17歳のカルテ【映画:5】

 

おはようございます。

 

 

ゆーまです。

日々読んだ本や見た映画で感じたことを記録しています。

 

 

 

 

今日の映画は

17歳のカルテ - ジェームズ・マンゴールド

eiga.com

 

 

 

自殺未遂で病棟に入れられた作家志望の主人公。

病気である自覚のなかった主人公だが、境界性人格障害であることを告げられ徐々にそれを受け入れていく。

病棟の患者や看護師との人間模様とともに、それぞれの人物の弱さや心の動きが描かれている。

 

 

 


異常を受け入れる強さ


 
この映画の中では、病棟での楽しそうな生活の中でうまく自分の症状に向き合えない姿が描かれている。

 

過去のコンプレックスや外傷的な要因など様々だが、それらを受け入れた者、戦っている者、または負けてしまい命を経つ者もいる。

 

 

 

話が少し変わるが、
私は「嫌われる勇気」という本が好きだ。

アドラー心理学を取り上げたこの本の中で、
トラウマというものは存在しない
と書かれている。

過去は過去としてのみ存在し、それに意味づけをしているのは現在の自分である。
過去を悪いトラウマとして持ち出すことで、今の自分を守っていると言うのだ。

 

 

 

賛否両論ある考え方だと思うが、私はこの考え方が好きだ。

 

 

 

もし過去の経験が絶対的なものであれば、壮絶な経験をした場合、その時点から常に人生に傷が付いて回ることになる。

これは過去の経験に限らず、現在のコンプレックスにもいえる。
コンプレックスのある者は常に負い目を感じながら生きていくことになる。

もし何か負い目を背負った瞬間にこれからの人生が悪いものになるとしたら、成功できる人はいない。大変な経験やコンプレックスのない人間はいないからだ。

 

 

 

人より劣ったところがある。

悪い経験をしたことがある。

これらの良し悪しは全て相対的なもの。

 

普通でない個性や経験は悪いものとされがちだが、それらを相対評価するのではなく、自分自身の中で評価することができれば強み・学びは無限大になる。

 

 

異常であることは、弱みであり強みである。

性格診断などやってみればわかる。

例えば、八方美人というのは人当たりが良いと捉えることもできる。

 

 

自分の内面の話だけでなく、視点を変える姿勢は様々役立つだろう。

 

 

 


また逆に、レッテルを貼られることの怖さ


 

病人が病人として扱われること。

病院だから当然の話である。

 

だが、どう扱われるかで人生は大きく変わる。

 

先日見たI am Samも障害を持った主人公の物語だったが、一人の人間として扱われる場面と一人の障害者として扱われるシーンとがあった。

 

 

 

思考の視点を変えることは大事だ。

一方で、行動や思考パターンはその環境に左右されやすい。

自ら変えることは難しいが環境には影響を受けやすいのだ。 

 

スタンフォードの看守と囚人の実験が良い例だろう。

被験者たちに忠実に看守役と囚人役を演じさせると、どんどんその行動がエスカレートし進んで行動するようになる。

最初は戸惑いを見せていた被験者も戸惑いを見せなくなり、囚人も従うようになった。

 

高校デビューなど、進学を機に行動が変化するのもそれに近いだろう。

進んで変えている場合もあるだろうが、環境が変化することで行動も変わるはずだ。

 

 

 

否定的に扱われることで行動もネガティブに進む。

逆に、良い環境に自分を置くことで自分の望む行動をすることができる。

 

 

愚痴ばかり言う人、否定的なことばかり言う人。

一緒にいて嫌な気持ちをする人は周りにいるだろうか。

そんな人と一緒にいるとき、必ず自分も影響を受けている。

 

自分の望む環境にまずは飛び込むことが大切だろう。

準備を整えてから進むのでは遅い。

飛び込んで環境が変わってからこそ行動することができる。

 

ホリエモンの「ハッタリの流儀」にもそんなことが書かれていた。

「ハッタリをかましてやらなくてはいけない環境に持っていけばどうにかなる」とおっしゃっていました。ホリエモンらしいです。

 

 

 


 

病院が舞台の映画なのに、だいぶ違うことを考えながら見ていました。

 

病気など無さそうな登場人物が急に変化してしまったり、病棟での不安定さが刺激的でした。

 

 

 

それでは。